#17 課長にも容赦のないブラック企業
代官山課長が出社してこない。電話を掛けてみるも繋がらない。
これはいよいよ事故か何かあったのではないのか、と、部長からちょっとお前が見てこいと言われ、上司の安否を確認するため課長が住んでいる江坂駅まで迎えに行くこととなった。
「自分の上司が出社しないから見てこい」こんなことは前代未聞である。普段滅多に行くことがないがない江坂駅に着くと同時くらいか、僕の携帯電話が鳴った。
「今すぐ帰ってこい、課長は見つかった」とのこと。どうやらすれ違いで既に課長は出社したようだ。
まじかよ、せっかく江坂まで来たのに…。
とぼとぼと帰社すると代官山課長は猛烈な勢いで部長に怒られていた。僕が帰るまで30分近くあったのだから、すでに30分怒られていたのか?
こういうときことブラック企業の本領発揮である。部長は普段そこまで怒るような人間では無かったのだがこの日は違ったようだ。普段怒られることなどない課長がケチョンケチョンに怒られている。
この光景を見てなんだかやり場のない虚しさを感じた。
事の顛末は単純であった。課長が朝起きられず、昼近くまで寝ていて電話もせず出社したことが部長の逆鱗に触れたようであった。
普通の社会人であれば昼に起きること自体が滅多にないし、気づいたらとにかく電話で一報入れなければいけない。社会人ルールを逸脱した課長の振る舞いに僕は違和感を感じた。
課長の失態はこれを皮切りにどんどん増えていった。
・エクセルデータ破壊
・会議の司会進行ができない
・様々な関係者と電話で揉める
・居眠り(しょっちゅう)
・会社に借金取りからの電話が掛かってくる
これはごく一部であるが、とにかく火種はいっぱい抱えており、火をつければすぐ炎上する危険な状態が続いた。
もともと業務課の仕事は課長と二人で分担する事務量であったのに、課長が使い物にならないため、関西の3工場は全て僕が管轄することとなり、事務負担は大変なものであった。
この状況下でさらに、上層部が思いつきで考えた営業予算と生産枠の連動による自動生産スキームの立案という夢物語のような施策にも関与させられ、日々資料づくりに追われ、酷いときは月の残業70時間超え、深夜タクシー帰りという日もザラではなかった。
結果的にその試みは失敗し、僕の心の疲弊と残業代だけが残った。この会社で良かったことは残業代が必ず申告通りもらえることであった。逆に言うとそのくらいしか褒められるものはなかった。