#15 組織改編の波に飲まれる僕

僕の大阪生活に転機が訪れたのは大阪に来て1年半経ったある日だった。
平凡に得意先回りをし、上昇志向はなく、淡々と営業をしていたある日である。
唐突に僕に人事異動が言い渡された。
しかもただの異動では無く、組織改編であった。

ブラック企業にありがちなのだが、組織改変と異動がやたらと多いのだ。

仕事を進めていたらある問題に行き詰った。
だったら部署を変えて一新してはどうかと。
計画性の無い上層部は社員を駒のように扱い、そのため特に管理職はそのあおりを受け、人事異動の度に部署を飛びまくっていた。

また、これもブラック企業あるあるだと思うのだが、離職率が高いため、辞めた人の穴埋めをするとその穴を埋めるためにまた穴ができるという無限玉突き事故が往々にして発生する。一人だけ異動させれば良いのに、なぜかそうはいかないのである。

定年退職を迎えた(この会社で定年退職できる人はかなり珍しいのだが…)大阪支店の支店長が退職の挨拶のときに言った一言は忘れられない。
「僕は今まで25回の部署異動を経験しまして…」
25回!!?
20歳から60歳まで働いたとして、40年間。
40年という月日に対して25回ということは、2年に一度を上回るペースで異動してきたことになる。しかもその異動でほとんどの都道府県に踏み入れたほどだったという武勇伝を語っていたが、とても笑えるものでは無かった。

さて、本題に戻るのだが、前述の通り今回は「組織改編」ということで、僕の異動は完全に新設の部署となった。
その名を「鉄スクラップ業務課」と言った。

今までの鉄スクラップ営業課の隣に業務課が誕生し、異動してきた課長、僕、前からいた女性社員4名で合計6名体制の課が誕生し、僕はなんと次席というポジションになった。
なぜ次席になったかというと、そもそも4名の女性社員は正社員ではなく、唯一の正社員が僕であったため、次席になったのは至極必然であったのだ。

業務課と聞いて、僕はてっきりショムニのようなものを連想していたが、実際には全く違っていた。
業務内容は関西にいくつかある工場の生産管理者で、全営業員が打ち込む予算・在庫・販売データをもとに3カ月先まで見通し、工場の生産スケジュールの大枠を組んでいく仕事だ。
この大枠のスケジュールを工場に投げ、細かな修正点を加えてもらい、生産スケジュールが確定する。いわば家の骨組みとも言うべき重要な仕事であった。
そしてここで出会った課長が、人生稀にみるトンデモ課長であったのだ。