#23 最後の1年

横一列で始まった社会人レースの第一関門。何十人もいる中で僕(と他数名)だけ昇進できなかったことで、かなりの精神的ダメージを負うこととなった。

今になってよくよく考えてみると、昇進できなかった理由が様々浮かんできた。
営業ではパッとせず、事なかれ主義。自発的に動く気概もなし。異動した業務課では現状維持。難しい課題は見なかったことにした。課題を無視した僕にそれでいいんだな?と言った係長の発言の裏には、「昇進はないぞ」という隠れた意味があったのだろう。

そういえば営業時代、課長はなにかの気まぐれなのか一度だけ僕に成績開示をした。
課長の待つ部屋に呼ばれて告げられた評価は「CD」。
CD?音楽みたいだな笑と心のなかでつぶやいたが、普通がC、普通より下がCDだった。
僕は当時課長との折り合いが悪く、むしろCD位で済んで良かったな。とまで思ったくらいだ。今思い返すとこのことに危機感を感じられないほどにまでズレていたと思う。

この「無昇進事件」があったことで、僕はこの会社に必要とされていない事実にようやく気づいたのだった。気づけば入社して4年もの月日が流れていた。

そして、僕が会社を去るラストの年が始まった。
なんと、また異動があった。異動?バカな…

この一件でまた僕は自信を失った。
前も触れたが僕は自分の仕事をなかなか気に入ってたし、自分がいないと回らないなどと過信していた。僕を異動させるのは良いけど、この仕事ができる器用な人はいるのか?などと(今から思うとすごい慢心)思っていた。

僕の後任は今まで一緒にやってきた係長だった。係長はもともと東京の工場を回していたし、かなり残業は増えるけど、やってやれないことはないだろう?と上層部から指示され、(おそらく無理くり)僕の仕事分を純増させられることになった。

係長に引き継ぎを終えると、係長はそれ以降一切仕事の仕方について聞いてくることは無かった。係長はおそらく爆増したであろう仕事の文句も言わず、自分なりに理解していたようであった。

僕が苦戦して覚えた仕事は造作もなく後任に委ねられた。このとき僕は思った。自分にしかできない仕事などないんだと。自分がいなくなったあと、必ず誰かがその仕事を引き継いで、そつなくこなしていく。
会社が大きな車だとしたら、社員はその一つ一つの小さな部品。部品が無くなっても変わりの部品はいくらでもある。かみ合わせが多少悪くても、じきにこなれて円滑に回るようになる。この事実もまた、僕の心を揺さぶった。

そして、僕にとって最後の部署について説明したい。
最後の部署の名を東京スクラップ広域営業課と呼んだ。