#11 長宗我部先輩

さて、前回少し触れたが、僕の配属された部署には、現在にも続く僕の価値観に多大な影響を及ぼした先輩社員がいた。
歴史上の人物の名前がついていたこの人について、便宜上、長宗我部先輩と呼ぶことにしておく。

長宗我部先輩は絵に描いたようなお手本社員であった。
社内のちょっとした雑用には「僕やりますよ」と手を挙げ、新しいプロジェクトが立ち上がれば「僕にやらせて下さい」と進んで志願するような人だった。
何か成果が上がれば、「よっしゃ、もっと上を目指すで!」と言い、誰かが失敗すれば「どんまいどんまい、また次頑張ろうや」と声をかける。
僕はこのような先輩の振る舞いを見ていると歯が浮くようで、たまらなかった。
「ぼくがやりますよ」なんて、あたかも点数稼ぎみたいだし、優等生みたいで嫌だ。そう思いながら先輩を見ていた。

長宗我部先輩はどんな問題にあたってもそれを無難にこなし、着々と成果を挙げていった。
僕の知っている最後の長宗我部先輩の記憶は、韓国語の勉強に励み、会社にとって新しい取り組みである志望性海外派遣社員として、その先陣を切って韓国に派遣された。
まさに会社を代表できる切り込み隊長、若手のエースといったところだろう。

僕は長宗我部先輩と同じ部署に配属されたことで、より鮮明に置かれた立場の違いを見せられることになった。
先輩は比較的大口の、会社にとって重要な取引先を任され、僕は小口の、会社にとって特段利益にもならない取引先を受け持っていた。
こんなしょうもない取引先でどうやって結果を出せばいいのか、しょうもない取引先が大口の取引を結んでくれるわけもない。僕は損な役回りばかりさせられていると毎日のように考えていた。

と、ここで僕の働きぶりにも触れておきたい。

働きたくもなかったオオテツに配属され、普段からの勤務態度は良好とは言えなかった。
一番の下っ端な僕に雑用を押しつけ、担当する営業先はゴミみたいな鉄の中でも更に利益にもならないような企業ばかりであった。

僕の部署はルート営業がベースで新規先への訪問は無かった。既存の得意先を定期的に訪問して、市場の話や雑談をして会社に戻る。帰社したら営業日報を書き、社内資料をまとめて帰る。
会社には始業時間ギリギリに出社し、夜遅くまで残業をし、大した成果を挙げないまま日々を消耗していた。
出世欲も無く、無難に日々を乗り切ることにしか興味が無かった。
楽しそうな顔もせず、飲み会も2次回に参加することは滅多に無かった。