#9 そして大阪へ

副社長の鶴の一声で人事が決まるなんてあり得るのか?
ドラマの中だけの世界だと思っていたが、これはまぎれもない事実であった。
会社の人事で、「多分こうなるだろう」という言葉は、実にあてにならない言葉の一つだ。実は10年後の今もこれに近いことがあった。これは覚えておくと良い。
もう一度言う。「多分こうなるだろう」は信じるな。
ちなみに、僕が入社した年は変革の年と銘打って、今まで起用していなかった女性の総合職をバンバン採用し、男性社員並みの人数を採用していた。
僕が希望していた東京の金取引部は、煌びやかな女性社員2名という枠を用意していたらしく、もともと僕に勝ち目など無かったということも後に分かったことである。

内示の発表が終わると、一人ひとりテレビ会議システムがある部屋へと通された。
配属になる部署のメンバーと対面するのだと言う。
失意のどん底の中、ぼやけたテレビ画面を見る。
誰がテレビに映っているのか、今となっては全く覚えていない。テレビの向こう側など、今となっては些末なことであった。
そんな中、テレビの向こう側ではオオテツの課長・係長に加え、東京の鉄取引部の面々も見ていたそうだ。
一般職のため、研修をほどほどにすぐに東京に戻り、トウテツの実務をしていた女性社員もテレビ会議に参加していたのだが、当時をこう振り返る。
「なぁんかやる気の無さそうな人だなぁ」と思った。
そりゃそうだ。やる気どころか覇気すらなく、テレビのこちらでは生きた屍となっていたことなど分かるまい。
この一般職の女性社員が今の僕の奥さんだとは、これもまた何が起こるか分らないものである。

その日の夜のことはよく覚えている。
小さな居酒屋にぎっしり同期が集まり、それぞれの人事の不満をつらつらと述べていた。
だが、僕はあまりのショックに不満をぶちまけることも出来ないほど落ち込んでいた。
酒をがぶ飲みし、どうやって寮まで帰ったのか覚えていなかった。
翌日、目が覚めると、足は自然とトイレに向かい、全てを吐き出した。

入社から3ヵ月が過ぎ、辞令が発表された後、更に3ヵ月の研修おかわりが待っていた。
もはや突然の研修の延長など、さも当たり前のように受け入れてしまうおかしな思考回路になっていた。
これから大阪で待ち構えるあれやこれやを想像しながら、淡々と研修をこなしていった。
追加の研修については特筆すべきことは無かったので、話は3ヵ月後に飛ぶこととする。

新幹線で新大阪駅に降り立ち、御堂筋線に乗り換える。
ほんとうにエスカレーターに乗る人は右側に立つんだ、と感じたことは鮮明に覚えている。
そこから更に乗り換え、独身寮が待ち受ける町へと歩を進める。
その町はほどよく人で賑わい、大阪の中心梅田にも電車一本で行ける便利なところにあった。